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documenta15 体験記
はじめに
私はdocumenta fifteenに公式で招待されたわけではない。大学のプログラムの手伝いでカッセルを訪れた。
プログラム自体も1ヶ月半程度だった。そんな私が7月2日から9月27日までの約3ヶ月間、カッセルに滞在し続け、たくさんのものを見て、感じてきた。でもこれまでそれを公に公開したことはなかった(毎日の日記はFacebookに掲載されてはいる)。
3年経った2025年の今、この時の体験が、自分の人生に大きな影響を与えているなと節々に感じているため、改めて、色々と情報を載せようと思った。
実はこれまで、何度もそれを試みようとしてきた。ZINEにするか、動画にするか、でも中々莫大な情報量でまとめるのは困難だった。
今3年の時を経て、少しだけ記憶が削ぎ落とされ、今思ってもとても重要だったものを中心に再度まとめることを試みる。
どうしてカッセルに行ったのか
documentaを訪れる前の1.2月頃、私が大学院博士課程の修了を控えていた。既に論文審査も作品審査も合格し、提出する論文を調整していた頃だったと思う。当時藝大の助手だった加藤康二くんというアーティストが、プロジェクトでドクメンタにいくという話を聞いた。
ドクメンタには以前から興味があり、2017年にも一度訪れていた。15回目の総合ディレクターはruanrupa。私は2019年に藝大のプログラムでインドネシアを訪れた時にGudskulの見学に行っていたし、藝大の今村先生も昔から交友があり、一方的に知っていた。彼らの取り組みが、ドクメンタにどのように表現されるのだろう、行ってみたいと以前から思っていた。
自費でもいいから行きたいとお願いしたところ、手伝いに行かせてもらえることになった。加藤くんのスケジュールもあり、8月の盆くらいには帰るとのことだった。
飛行機の予約をする時に、これまでのruanrupaやGudskulの取り組みを見聞きしていたこともあり、この芸術祭はより長くいることに意味があると直感的に感じた。幸いにも博士時代から継続していたオンラインでできるバイトが3つほどあったため、方々に相談をして、3ヶ月の渡航のチケットを買うことにした。でも途中でお金がなくなるかもしれない。そんな不安もあって、エディハド航空 成田ーフランクフルト行きを日程変更できるタイプのチケット購入した。言わずもがな、そのチケットの日程変更をされることはなかった。
カッセルで起きたこと
正直、展覧会も見たけれど、展覧会以外で起きていることが多すぎて、そっちの方の記憶の方が今も残っている。
カッセルに到着して2週間ほどで泊まる宿がなくなり、ドクメンタの会場内のアーティストが泊まっている宿にお世話になり、そこで一緒に料理をしたり、一緒に食べたり、遊びに行って、また友達ができたりしながら、交友関係を増やしていった。
最終的にはいくつかのイベントに公式で呼んでもらい、参加したりもした。
まさにliving together, eating together, No Art, Make Friendsをを3ヶ月の間に実際に体験した。

カッセルでの宿泊場所
カッセルでの滞在先は全てが決まっているわけではなかった。大学のプログラムが用意してくれていた最初の2週間のAIRBと、8月前半んおsandershausのみで、それ以外は現地で探した。当時ドクメンタが開催されていたこともあり、周辺のAIRBの宿泊料は高額になっていた。
ドクメンタには、ほとんどのメイン会場の近くにアーティストが泊まる宿泊施設があった。私が記憶している限りでは、フレデリチアヌム美術館、WH22、HÜBNER、Sandershaus、Hafenstraße 76には存在していた。
フレデリチアヌム美術館では美術館の展示室の1室(なのかストレージ空間なのかはわからない)を20台近く2段ベッドを置いてドミトリーのような寝室にしていた(皆はdormと呼んでいた)。屋外キッチンがあ利、都度参加アーティストが入れ替わりで宿泊していた。
WH22にはNhà Sàn Collectiveが運営していたクィアハウスがあり、HÜBNERにも名称はわからないが2階か3階建ての宿泊場所がHÜBNERの敷地内にあってJatiwangi art Factoryのメンバーに会った。Sandershausはサンダース自体が宿泊施設でもあったのでSa Sa Art Projectsのメンバーが8月中旬に宿泊していた。Hafenstraße 76の隣にも立派な4階か5階建くらいの宿泊できる建物があり、Cinema Caravan + Takashi Kuribayashiのチームが宿泊していた。
どの建物も、公にはされていなかったが参加アーティストの友人や、そのまた友人、ふらっときて宿がないと芸術祭に問い合わせた人など、公式アーティスト以外の人も宿泊していた(私もその一人)。
それをどうやって見つけて泊まったのかというと、WH22のクィアハウスは
くんが最初に問い合わせてくれたのが、WH22にあったNhà Sàn Collectiveが運営していたクィアハウスでそこで2週間ほどお世話になった。その後sandershausに2週間ほど滞在した。
Gudskulが運営していた、フレデリチアヌム美術館の中にあったdorm(ドミトリー)とGudkitchenだった。宿泊は、AIRB(2週間)→クィアハウス(2週間)→sundershaus(2週間)→クィアハウス(2週間)→シェアハウス(1週間)→dorm(3週間)と遊牧民のように移り住み、その場その場で一緒に調理をしたり、食事をしたり、遊んだりしながら、またそこで出会う人達と交流を重ねていった。
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